早慶レガッタ
早慶野球戦に次いで行われた早慶の対校戦。概ね毎年4月中旬の日曜日に隅田川にて開催される。一般的に「早慶レガッタ」という言葉はメインレースである「対校エイト」を指す事が多いが、実際は「対校女子舵手付クォドルプル」「対校舵手付フォア」を含めた全3種目の対戦であり、OB・OG戦、招待試合等を含めると当日は10種目以上のレースが行われている。なお「対校エイト」は例年テレビ東京によるテレビ放映が行われている。
第1回は1905年5月8日、隅田川にて開催された。野球同様、早稲田が先輩格の慶應に試合を申し入れた事に端を発している。レースは慶應有利の下馬評を覆して早稲田の勝利(第1回のみ「エイト」ではなく「シックス」によるレース)。大いに評判となった早慶レガッタだったが、早慶野球戦のあおりを受け中断、第2回開催は1930年であった。
戦時体制下、1943年の第15回大会を最後に再び中断。1944年には、観衆・審判の居ない、選手だけによる「幻の早慶レガッタ」が行われたと言われている。公式大会は終戦後の1947年に復活した。
1957年の第26回大会は荒天により川面に白波が立つ中でのレースとなった。ボートの浸水が予想される中、早稲田クルーは「ボートを沈めることなくゴールする事」を重視し、ボートを漕ぐ選手とボートに浸入した水を食器で掻き出す選手に分けてレースに臨んだ。一方の慶應クルーは「選手全員で最後まで漕ぎ続ける事」を重視し、ボートが沈む前にゴールまで辿り着く事を選択した。レースは序盤慶應が早稲田を大きく引き離したが、慶應艇がレース途中で浸水により失速、そのまま沈没。早稲田は浸水を避けゴールし、審判は早稲田の勝利を宣言した。早稲田側は好天下での再レースを申し入れたが、慶應側は「審判の裁定に従う」と主張し、再レースは行われなかった。このエピソードは後に小学校6年生国語の教科書(株式会社学校図書発行)において「あらしのボートレース」という題名で取り上げられた。
隅田川でのレースは橋梁工事や水質汚濁の影響により1961年の第30回大会を最後に一旦中断。戸田ボートコース・荒川・相模湖等に会場を移して大会を続けた。しかし多くのファン、OB から隅田川での開催が望まれ、水質浄化も進んだことから1978年に再び隅田川へ回帰。以降現在まで隅田川にてレースが開催されている。
過去の対戦成績(メインレース:2007年まで)は早稲田41勝、慶應34勝、同着1。
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